全力中年てるちゅー

久留米のほとりの眼鏡屋の日常です。

依存症脱却3日目 仕事の話 独身編

今から26年前の昔話。

大学生まで卓球が生活の中心にあった。

将来は母校で卓球の指導に携わりたいと教員免許を取得した。

県教員採用試験と卓球の全国大会が重なったこともあり卓球を優先したので大学卒業後は徳島県にある小さな私立に勤める事になる。

勤務しながら県教員採用試験を目指す人生プランを描いてたら、勤務して1月で最悪の事態に…

上司〔私学のオーナー〕から今で言うパワハラを受けてましたが、そこは体育会系、わたしに学生時代も先輩から同じようなパワハラを受けてたので多少な事ではへこたれません。

しかし事は起こってしまった。

時代背景もありますが、その高校は体罰が黙認されていた。

関西圏からも生徒が集まり、遠方の生徒は寮で共同生活。

わたしは1番下っ端なので寮監督の役割を休みなく任されていた。

私の指導教員は先程の私学のオーナーであり、その日はオーナーが直々に寮での生徒指導をコーチしてくれると言われた。

21:00から寮生の点呼と部屋の清掃をチェックするのが寮監の役目で清掃が行き届いてなければ生徒に注意して改善したら消灯という流れである。

点呼の開始は21:00なので寮生は部屋に整列して寮監を待っている。

わたしもオーナーから直々の指導受けるべく管理室で待機してたのだが、点呼10分前になっても現れない。当時は携帯はまだ扱ってなかったのでオーナーの自宅へ電話を入れる。

奥様からオーナーは2時間前位に自宅を発ったと聞き、点呼の開始時間になったのでわたしはいつものように寮生の点呼を開始した。

事件は起こった。

わたしが最後の部屋の点呼を終えようとした時にオーナーが勢いよく部屋に乱入してきた。

彼はあきらかにアルコールを摂取しており、まずわたしに「そんな点呼やったら生徒に舐められるだけや!」と乱暴にいい生徒に向かって行った。

そして整列している4名の生徒を順番に全員平手打ち…意味がわからない。

プッツリと何かが切れた。わたしはオーナーの胸ぐらを掴み取り押さえた。

オーナーは自宅へ帰り、生徒は下っ端のわたしとオーナーのやりとりに固まり、わたしは寮監督の部屋へ戻り、辞めると父親に連絡した。

父はわたしが卓球指導者になる事を1番楽しみにしてくれていた理解者 今の時代なら胸を張って自分の正しさを訴えるが、当時はどんな理由であれ上司に反抗する事は許されないと思い、その時は自分を責めて傷ついた。

父は翌日広島から徳島までオーナーに詫びに来てくれたが、わたしは最初の仕事を辞めることになる。

その時に強く思った事は

「自分が責められるのは我慢できる。人が責められるのは辛くて我慢できない。自分が責められる事を仕事にしよう」でした。

 

今日で依存症脱却3日目達成出来ました!

昔話でした。